早咲き桜の名所は春爛漫 紀三井寺

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金剛宝寺護国院(紀三井寺)は名草山の中腹、和歌の浦の絶景を望む景勝地に建っており、近畿地方、本州に春の到来を告げる「早咲き桜の名所」として知られています。
日本さくら名所100選にも選ばれています。

紀三井寺駅から徒歩でお寺を目指しますが、駐車場の入口の方に来てしまいました。
裏門からの入山となってしまいました。

後でわかるのですが、こちらからの方が和歌浦の景色を眺めながらゆったりと参拝できるのです。

本堂は江戸時代、宝暦9年(1759年)の建立。
観音堂とも称す。
秘仏本尊の十一面観音像、千手観音像などは、現在は裏手の大光明殿に移されている。

本堂前に万葉歌碑が建つ。

名草(なぐさ)山に 言(こと)にしありけり 我(あ)が恋ふる
千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰めなくに

   =巻7-1213 作者不詳=

名草山は絶景だなあ、でも「なぐさ」は言葉だけだったかな、私の恋の苦しさの千の一つも慰めてくれなかったもの。

幸福観音
中国大陸で犠牲になった全ての人々の諸霊を祀る幸福観音さま。
 
中国大陸で終戦を向かえ、帰国する折に犠牲になった全ての人々や、大陸で殉職した諸霊を三千観音像を刻み、紀三井寺の聖域でお祀りしている。

「鐘楼」は宝亀2年(771年)に建立、天正16年(1588年)に再建され、昭和12年(1937年)に修復されたようである。

六角堂は、江戸時代1750年ごろ雑賀弥左ェ門により建立されました。
西国三十三箇所を巡礼するのに等しい功徳があると伝えられ、他府県からもたくさんの人が年中途切れることなく参拝に訪れています。

境内からは和歌浦がきれいに見渡せます。

新仏殿にある大千手十一面観世音菩薩像。
紀三井寺新仏殿のご本尊様で木造の立像仏としては日本最大になる総漆金箔張りです。

平成20年5月に我が国第一の大仏師・松本明慶師よって入仏されました。

大きいですね。高さは何と11M以上あるそうです。

三階に上がるとご尊顔を拝見できます。
ガラス越しで反射してしまい、背後霊が映ってしまいました。

南を見渡せば和歌山マリーナシティ辺りまで見えています。

まさに全山満開です。

紀三井寺新仏殿。
大千手十一面観世音菩薩像はこの中に祀られている。

紀三井寺新仏殿脇の桜も見事です。

如意輪観音像
千手観音とならんで如意輪観音が信仰の対象となるのは、12世紀初めごろと見られ、藤原宗忠の『中右記』にその様子が見える。

本堂脇の石段を登ると多宝塔があります。

国指定重要文化財の多宝塔。
1441年に倒壊した塔に替わって1449年再建された本瓦葺三間多宝塔です。
下層は四本柱の方形、上層は十二本の柱を立て高欄をめぐらせた円形。

開山堂
この辺りは参拝者も殆ど訪れることはないようで、建物も心なしか寂れた感じ。

鐘楼を上から俯瞰する。

まるで城の高石垣、下りですが、いよいよ231段の急坂です。

途中の踊り場で区切りますと、石段は5層になっている。
還暦厄坂は六十段。

男厄除け坂は四十二段。

途中に身代り大師があり、一息つけます。
紀三井寺の参道上り右手にある松樹院。

通称、身代り大師。
身に起こった災いなどを弘法大師が代わりに受けてくれるというもの。

本堂まで一気に上がるのはしんどいので、一息つくのもいいだろう。

ここからの坂が女厄除坂、三十三段。

右手の石段を降りると三井水(さんせいすい)。

白い看板の後ろに少し見えているのが応同樹。

この樹は紀三井寺だけに伝わる”病に応じて薬になる”という不思議な樹です。

紀三井寺開山の為光上人が竜宮へ説法にいかれ龍神からお礼にいただいた七種の宝の一つで、この葉を浮かべて飲んだり、煎じて飲んだり、首にかけておくと病に応じて薬となると言われています。

三井水(さんせいすい)とは紀三井寺内にある3つの井戸「清浄水(しょうじょうすい)」「吉祥水(きっしょうすい)」「楊柳水(ようりゅうすい)」の総称です。

紀州にある、3つの井戸があるお寺ということで紀三井寺の名の由来となった水です。
三井水は環境省選定の名水百選に選ばれており、遠方からも水を汲みに来る人が後を絶ちません。

名水百選にも選定されています。

三井水のひとつである清浄水の前に、松尾芭蕉が貞享5年(1688年)紀三井寺を訪れた際に詠んだ句を刻んだ碑が建てられています。

「みあぐれば さくらしもうて 紀三井寺」

せっかく桜の名所として有名な紀三井寺に来たのに見上げてみると桜は散っていたという思いを詠んだ句となっています。

芭蕉の句碑の周りには、紀州の俳人達の句碑がともに建てられています。

弘法大師様の波切不動明王。
波切には次の伝承があります。

弘法大師が唐からの帰途、嵐により船が難破しかかった時、大師自らが刻んだ不動明王に祈念すると、不動明王が右手に持った利剣で波を切り裂き無事に帰国できたと云われています。

上の逸話から御利益は最初、航海の安全でしたが、今では厄除け不動として信仰されています。

また酉年の主本尊でもあります。

七鈴観音堂。

ここからいよいよ231段の急坂です。
「女厄除坂(33段)」→「男厄除坂(42段)」→「還暦厄坂(60段)」と、33・42・60のいわれに合わせた石段が続きます。

楼門からの231段の急な石段は結縁坂と呼ばれています。

豪商紀ノ国屋文左衛門は若いころ貧しいが孝心篤い青年でした。
ある日母を背負って紀三井寺の表坂を上り観音様にお参りしましたが草履の鼻緒が切れてしまいました。

困っていた文左衛門の鼻緒をすげ替えてくれたのは和歌浦湾にある玉津神社の宮司の娘おかよさんでした。

これがきっかけで二人に恋が芽生え結ばれました。
その後文左衛門は宮司の出資金によって船を仕立てミカンと材木を江戸へ送って大儲けしたのです。

紀ノ国屋文左衛門の結婚と出世のきっかけとなった紀三井寺の表坂はそれ以来結縁坂と呼ばれるようになったそうです。

楼門にはまさに桜が似合う。

紀三井山護国院が紀三井寺の正式名です。
こちらから参拝するのが正式なルートです。

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紀三井寺へのアクセス、行き方歩き方

住所:〒641-0012 和歌山県和歌山市紀三井寺1201
電話:073-444-1002

JR紀勢本線(きのくに線)紀三井寺駅 下車約10分
紀三井寺駅ではICカードは使えないので注意。

南海電鉄 和歌山市駅より和歌山バス海南方面行き乗車
紀三井寺バス停下車徒歩10分

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