小野神社 小野氏発祥の地

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滋賀を訪れた折、全国の小野一族の祖を祀るといわれる小野神社を訪れた。
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小野神社は滋賀県大津市小野にある神社で、小野一族の祖であると共に餅及菓子の匠・司の始祖である第五代孝昭天皇の第一皇子天足彦国押人命と同命から数えて七代目の米餠搗大使主命の二神を祀る。

日本の餅作りの祖と言われていることから、例祭のシトギ祭には、全国の菓子業界からの参拝を受けている。
旧社格は郷社。

今から一千年前の延喜式の神名帖に滋賀郡大三座の内小野神社二座、名神大社(官幣大社の意)とある古社である。

日本書紀には大和和邇(やまとわに)の祖であるとも記されている。
大和朝廷成立以前この地において、今の大阪府、京都府、奈良県、三重県、愛知県、滋賀県の広い地域を統治されていた王族であり、諸国に多い小野の地名、氏族の発生地、祖神でもある。

小野市系図
推古天皇の代に小野妹子が先祖を祀って創建したと伝える。
平安時代小野篁のときに、同族が小野神社に集まって氏神を祀ったことは、「続日本紀」にくわしく載っている。

同じ境内の中に『令義解(りょうのぎげ)』の撰修(せんしゅう)に参画(さんかく)した小野篁(おののたかむら)(802-852)を祀る小野篁神社がある。

小野篁は平安時代の歌人であり政治家です。
少年時代は乗馬に専念して学問をを顧(かえり)みませんでしたが、後に漢詩文で名を挙げ、31歳で『令義解(りょうのぎげ)』の撰修に参画しました。
政治家としては、遣唐副使・参議などを務め、野宰相(のさいしょう)と呼ばれたといいます。

承和三年(836)遣唐副使に任ぜられたが、大使の藤原常嗣と争い、病いと称して乗船を拒んだため、一時隠岐へ流罪となった。
地獄を往復して閻魔大王を補佐していた等の逸話が多い小野篁ですが、京都市「六道珍皇寺」には地獄へ入る為の井戸があった。

『今昔物語』でも、西三条の大臣良相が死んで冥府に至ったのを、閻魔王の前で、篁卿が良く取りなしたので、蘇生し、他日篁に冥府でのことをたずねたとき、微笑して「ゆめ口外するなかれ」と言ったという。

篁の和歌は「古今集」以後の勅撰和歌集に採録されている。
参議 篁
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと人にはつげよ 海人のつり舟
境内にたつ篁の歌碑。

境内の一隅に康永4年(1345)の石像宝塔が建つ。
小野小町の供養塔と伝えられている。
小野小町は小野篁の孫にあたる。

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小野神社へのアクセス、行き方歩き方

鎮座地 滋賀県大津市小野
(旧 滋賀郡志賀町小野)
※和邇駅から南約1km徒歩10分

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