大田垣蓮月が眠る西方寺

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西方寺は来迎山と称する浄土宗の寺院です。
正式名を大船院西方寺といい、五山送り火の一つ、舟形と縁を持っています。
8月16日の夜に舟形の火が落ちた後、この寺で鉦や太鼓を使って念仏を唱えるという六斎念仏(重要無形文化財に指定)が行われる。

また、ここは知る人ぞ知る紅葉の名所です。
ほとんど近所の人しか訪れないという穴場中の穴場で、観光ルートからは外れている事から、これからもそう多くの人が押し寄せるという事はまず無いと思われます。

境内には、幕末の歌人・太田垣蓮月尼(おおたがき れんげつに、1791-1875)の碑、皇室制度や神道史の研究家イギリス人リチャード・ポンソンビー・フェーン()の「本尊美君碑」碑がある。

また、寺の西にある小谷墓地には、蓮月、上賀茂神社の祠官・賀茂季鷹(かもの すえたか、1752-1842)、また「賀茂県主」累代、「鉄道唱歌」作曲者・多梅雄(おおの うめお)、料理人・陶芸家の北大路魯山人(きたおおじ ろざんじん、1883- 1959)などの墓もある。

「故蓮月尼紀念碑」

リチャード・ポンソンビーの「本尊美君碑」
近代の神道研究者・リチャード・ポンソンビー・フェーン(1878-1937)は、イギリス、ロンドンのイースト・テラスの家で生まれた。
父は貴族のジョン・ヘンリー・ポンソンビー・フェーン、母はフローレンス。

正式名は、リチャード・アーサー・ブラバゾン・ポンソンビー・フェーン。
1916年、父親の死に伴い家督を相続した。
香港総督官の秘書官を経て、1919年に来日し、成蹊学園で教鞭をとる。
1925年に上賀茂に移った。
日本を愛し、皇室、神道史の研究者として知られた。

浄土宗西方寺の門前を過ぎると前方山手一帯に蓮月が眠る小谷墓地の広がりが目に入ってくる。
蓮月尼の墓は案内があるのですぐにわかる。

明治八年(1875)、85歳で亡くなりましたが、遺言で「ただ無用の者が消えゆくのみ、他を煩わすな、富岡だけに知らせてほしい」と頼んだということです。
蓮月尼の墓は、桜の老樹の根方に寄り添うようにある。

高さわずか五十センチあまり、瓜のように円い鞍馬石に「太田垣蓮月墓」と一行だけ富岡鉄斎の筆を刻んでいる。
蓮月尼のやさしい人柄が自ずとしのばれる姿である。

碑裏には異筆で「寛政三年生、明治八年十二月十日没、享年八十五歳、太田垣氏建」とある。

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西方寺へのアクセス、行き方歩き方

京都市北区鎮守菴町  
電話:075-492-5889
市バス 1、9、快速9、37系統「神光院前」より徒歩2分