千姫の小径から 好古園へ


文学館を辞し「千姫の小径」を南へたどり「好古園」へ向かいます。

千姫は、7歳で豊臣秀吉の息子・豊臣秀頼と政略結婚。

大坂夏の陣で炎上する大坂城から救出され、江戸に帰る途中、桑名城主・本多忠政(ほんだただまさ=徳川四天王・本多忠勝の子、正室は家康の孫・熊姫)の子・本多忠刻(ほんだただとき)と運命的な出会いをします。

桑名の七里渡しの船中でたまたま本多忠刻と同船となり、惹かれ合ったというドラマチックな展開に。

津和野藩主・坂崎直盛(さかざきなおもり)は、千姫輿入れの行列を襲っての強奪を企てますが(千姫事件)、大名の坂崎氏はこれによって断絶。

その後、本多忠政は桑名藩主から、西国の押さえとして姫路藩主となり、元和3年(1613年)、千姫も姫路城に移り住んでいます。

千姫の小径は西部中濠と船場川の間に南北にのびた土の道です。

道にはモミジや桜が植えられ、左右の水と共に心を和ましてくれる散策路となっています。

千姫の小径は、千姫が忠刻とくつろいだ西の丸の化粧櫓(徳川家から輿入れ時に賜った10万石の化粧料で造ったとされる櫓)、侍女たちが待機した長局(ながつぼね)の白壁を見上げるコースとなるのが名の由来です。

姫路城は内堀(現存)、中堀(一部現存)、外堀(埋め立てされている)の3重の堀で守られており、さらに船場川の川筋を鍵形に付替えて、外堀の一部に利用して、防御機能を高めていました。

姫路城と姫路駅の間を横断する国道2号はかつての中堀にあたりますが埋め立てられて国道になっています。

千姫の小径の脇を流れる船場川は外堀としても機能の他、瀬戸内海交通の要衝である飾万津(しかまづ=飾磨津)との舟運も担っていました。

上りは陸から綱で引き、下りは流れに任せて下っています。

好古園(こうこえん)は兵庫県姫路市、姫路城のすぐそばにある平成4年に開園した日本庭園。

発掘調査で確認された姫路城西屋敷の地割りを生かして、趣の異なる9つの庭園で構成されています。
季節により様々な花が咲きますが、特に紅葉の美しさに定評があります。

画像は築地塀(ついじへい)

好古園の影の主役ともいえる築地塀。
各庭を仕切る役目の他、余計なものを隠す背景としても役に立っています。

6年前の晩秋に好古園を訪ねています。
晩秋の好古園
「好古園」は、江戸時代に現在の庭園入口付近に存在した藩校「好古堂」に因むもの。 … 続きを読む →


季節のサルスベリの花がきれいです、門をくぐると「活水軒」(レストラン)今日はこちらのレストランでお昼です、庭を眺めながらの食事です。

活水軒と潮音斎(ちょうおんさい)を結ぶ、総檜造りの渡り廊下。

中央が曲面になっています。

左右に水の流れや池が見え、特に順路向かって左の滝状になっている水の流れが美しい。

渡り廊下を渡ると流れのある庭、秋にはもみじが美しい。

潮音斎

池側に大きく開かれた縁台(観庭台)がある建物。

中秋の名月を眺めるのに最適な方向に向けて開けているそうです。

池の奥にある樹林や雄滝、水の流れが美しい。

池泉回遊式の「御屋敷の庭」や本格的数寄屋建築の茶室・双樹庵のある「茶の庭」など九つの庭園群で構成され江戸の情緒を醸し出すそのたたずまいは時代劇や大河ドラマのロケ地としても使われています。

正式名は姫路城西御屋敷跡庭園好古園。

「好古園」とは、江戸時代に現在の庭園入口付近に存在した藩校「好古堂」に因むもの。

御屋敷の庭

池泉回遊式の、区切られた9つの中で最大の庭。

池に架かる石橋や、池を泳ぐ錦鯉、周囲にある姫山樹林を借景にした日本庭園らしい景色が見所。

松の庭

瀬戸内地方のアカマツ林をイメージした庭園。

散策中にあちこちでお城の廓が見えます。

庭園の面積は、約一万坪、九つの庭を見逃さないように回るのは大変。

世界遺産・姫路城を借景にした本格的な日本庭園は姫路観光にも人気の場所です。

キキョウのブルーがきれいです。

15種類の竹類を植栽した庭園で中央に八角の和傘をイメージした四阿「聞竹亭」を配す。

好古園までのアクセスは

姫路城の西隣に隣接しているので、観光で来られた方は、お城を見学された後などに是非立ち寄っていただきたい。
姫路城からは一度大手門を出て西へ、お堀沿いに歩いてゆくと右手に見えてきます。

【バスの場合】

姫路駅北口から神姫バス乗車【姫路城大手門前 】下車、徒歩約5分
9、10、17、18番乗り場からは〔7、8、9、11、12、13、41、42、43、45、51、52、53〕のバス乗車【聴覚特別支援学校・好古園前】下車すぐ
観光ループバスをご利用の場合、姫路城周りを一周した後、好古園前に停車します。

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