佐野町場 迷宮都市

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江戸時代は、特に廻船業や漁業の発展が著しく、中でも豪商「食野(めしの)家」「唐金(からかね)家」などの商人が、瀬戸内沿岸や、遠くは東北地方と交易したと言われ、今でも残る「いろは蔵」が当時の繁栄振りを偲ばせます。

当時の自然に広がっていった町場は非常に細く曲がりくねっており、「迷宮都市」とも呼ばれます。

まるで江戸時代にタイムスリップしたような情緒ある町並みは2020年6月に日本遺産にも追加登録されています。

15世紀末頃にはすでに町として機能をもち、泉南地域の経済や流通の拠点としての役割を担っていました。

古い町並みと高層ビルの見える景観。

貝塚や岸和田など城下町や寺内町として計画的につくられた市街地と違い、佐野町場は自然発生的に町場が形成されたため、細い路地が複雑に絡み合うような形状をなしていることが特徴です。

地名の由来

中世以来の村の名称『佐野』に旧和泉国の国名を冠したもので、「狭い原野」という事から「狭野」というようになり、それが転じて「佐野」になったという言い伝えが残っている。

食野・唐金らの活躍で巨万の富を得た佐野村は、和泉国では堺に次ぐ商業都市となり、人口も岸和田城下6町や貝塚寺内5町を上回るようになった。

なお、堺・岸和田・貝塚など計画的に形成された市街と異なり、佐野村の町場は自然発生的に形成され、迷路のような街路が古い家並みとともに現在もよく残っている。

今、さの町場では多くの古い家屋、町屋が維持できずに手放されたり、取り壊されたりしています。


消防自動車もおいそれとは入れないような路地。

迷宮都市とはよく言ったものだ。

狭いうえに整合性がなくよく勝手気ままに発展してきたものだ。

非常に興味深い望楼付属町家。
ツシ二階建てから本三階建てへの過渡期的町家で、稀に京都市内などで見かける。



細い道が複雑に入り組んでいる迷宮のような場所の一部に広い更地があったり、これから急速に変わっていくんだろう。


レトロムードの漂う街並みに突然現れるサイケな場所、何ともちぐはぐな街だ。



おたふく石

1895(明治28)年に佐野村の人々によって作られた泉陽銀行が、設立当初にあった場所。

名残をしめす銀行の蔵が残り、その石積みにお多福亀甲の彫刻があります。


商店街はシャッター通りが続く。

そうかと思えば海岸に出ると立派マリーナ、この辺りのちぐはぐ感が今の佐野街場を象徴している感がある。

レトロムードが漂う場所が好みの向きはできるだけ早く探索に出かけたいものだ。

まず、新川家(泉佐野ふるさと町屋館)に寄り、てくてくマップを入手の上ポイント等を聞いて出かけるといいだろう。

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