人吉のパワースポット巡り 青井阿蘇神社

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今日から南九州の名城を訪ねる旅です。
あいにくの雨で肌寒い日でした。
先ずは人吉のパワースポット、青井阿蘇神社からスタートです。

二ノ鳥居の鳥居の奥に楼門。
県下の名社の一つである「青井阿蘇神社」は、人吉球磨地方の総鎮守。
昔から「青井さん」と呼ばれ親しまれています。

その社殿は壮麗で、至る所にきれいな文様や彫刻が施されています。
特に安土桃山時代の華やかさを持つ桜門は国指定重要文化財で、かつて司馬遼太郎氏が「華やぎと豪宕(ごうとう)さを持っている」と感嘆したほど。

本日も 手に持たずにさせる折りたたみ傘 肩ブレラが大活躍です。

楼門は慶長18年に竣工した楼門は禅宗様に桃山様式を取り入れた寄棟造茅葺の三間一戸八脚門。
上層四隅の隅木下に「阿吽(ア・ウン)の形相をした陰陽一対の鬼面を嵌め込む点が珍しく、これは当地方独自の人吉様式と呼ばれる。

神楠
太い幹が根元から2本に分かれ、四方に枝を大きく張り伸ばしています。
まさに神が宿るにふさわしい巨樹です。

「神楠」の裏手には、小さな祠が・・・。
その祠の由緒書きには由緒詳ならずとあります。

青井大神宮

宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)
御祭神の息長足比賣命は神功皇后(じんぐうこうごう)のことで、仲哀天皇のお后であり応神天皇の母にあたられる方です。

神功皇后は摂政として政治の任にあたられますが、その折、勝村大神・勝頼大神は藤之高麿(ふじのたかまろ)・藤之助麿(ふじのすけまろ)の名で、神功皇后を補佐され大任にあたられた忠臣です。

青井稲荷神社
稲荷とは「稲成」(いなり)稲が成長することを意味し五穀をつかさどる農業の神様です。
いつの頃か商工業・漁業・鍛冶屋など幅広い信仰を集める神様になっていきました。

歩道のカラータイルに描かれた「きじうま」と「花手箱」

人吉に落ち延びた平家の落ち武者達が、潜伏しながら生活を維持する為に作ったのが始まりと言われる。

最初は里の人々と物々交換をしていたが、その後えびす市で商品として売りに出されるようになる。
同じく、人吉の郷土玩具とされる雉子車(きじ馬)は男子を対象とした玩具として売られ、花手箱は羽子板と共に女子を対象に売られた。

黒い縁取りに、椿や菊の花の模様が描かれているのが特徴である。

マンホールの絵柄は人吉城と球磨川急流下り。

からくり時計
太鼓の音と共に扉が下がりいよいよ上演。

球磨の民謡六調子のメロディーに合わせ臼太鼓踊りが始まります。
お殿様、庄屋どんに変装して城下見物に。

町屋で相良乙女と球磨焼酎を楽しんで・・・人吉温泉で汗を流します。

汽車弁当の看板も建物も味があります。ここは、駅弁の立ち売りがまだあります。

人吉周遊バス じゅぐりっと号
和歌山県海南市で観光循環バスとして使われていた2003年式の26人乗りのボンネットバス風マイクロバス(三菱ふそう・ローザの車椅子対応リフト付き)を産交バスが購入し改造した車両だ。

ちょっと渋めの外観は、「SL人吉」の車体色に合わせた濃紺の車体色に、人吉球磨を代表する球磨川と人吉城址をイメージしてデザインされたイラストが描かれている。

内装も「SL人吉」と同じように大正ロマンを感じさせるデザインになっていて、レトロ感を出すために座席には木が使われている。

今日のおひるはレストラン木綿葉でいただきました。
人吉の郷土料理が頂けるお店です。

人吉荘は肥後国球磨郡内(現,熊本県人吉市域)に存在した荘園。

本荘と東郷よりなり,1197年(建久8)の球磨郡田数注文(図田帳)によると,田数600町(公田数),本家は蓮華王院(れんげおういん),領家八条院,預所(あずかりどころ)中原清業(きよなり)で,人吉次郎,須恵小太郎,久米三郎など球磨郡各地の在地勢力が荘官となっていた。

清業は八条院庁家司であった池大納言平頼盛の郎従であり,のち頼盛の嫡子光盛(円性)が当荘を領知していることからみて,1184年(元暦1)4月源頼朝が没官領から除き頼盛に安堵した〈球磨臼間野荘〉は当荘の前身とみられる。

傍には足湯もありました。

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青井阿蘇神社へのアクセス、行き方歩き方

青井阿蘇神社公式サイト
住所:熊本県人吉市上青井町118
電話:0966-22-2274

JR肥薩線人吉駅から徒歩5分

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