和歌山県立紀伊風土記の丘は、国の特別史跡「岩橋(いわせ)千塚古墳群」の保全と公開を目的として1971年8月に開館した、考古資料・民俗資料を中心とした県立の博物館施設(登録博物館)です。
郷土出身の実業家松下幸之助の寄付により建てられた。
和歌山市郊外の丘陵地(標高150m)にあり、総面積は65ヘクタール。
その広大な敷地全体が博物館施設となっている。
国の特別史跡に指定されている約400基の古墳群、復元した竪穴式住居、移築した江戸時代の古民家集落(重要文化財2件を含む)、資料館および万葉植物園などで構成される。
古墳時代のクスノキの巨木
平成23年9月の台風12号にともなう豪雨によって、紀ノ川の川底に沈んでいたとみられる木の枝が川面に姿を現しました。
クレーンによって引き上げられたその木の正体は高さ約7m、直径約4m、重さ推定40tの巨大なクスノキでした。
「放射性炭素14年代測定法」という自然科学的な年代決定法によると、この巨木が西暦700年ごろに生命活動を終えたことが判明しました。その年輪からは樹齢がおよそ350年と推定されましたが、どのような経緯でこの大木が川底に沈んだのかは分かりません。
クスノキの巨木の枝の部分。
特別史跡岩橋千塚古墳群の大日山35号墳で頭部の両側に顔がある埴輪が出土しました。
顔がふたつある理由は評価が難しく、現段階では謎の埴輪としかいえません。
この古墳では、翼を広げた鳥形埴輪やころく形埴輪など全国で初めての埴輪が見つかっています。
古墳時代の鳥形埴輪は数多くみつかっていますが、このように翼を広げてた鳥形埴輪は、全国的にみても珍しいものです。
頭とくちばしの形状から、この鳥をタカとする見方があります。
阪和自動車道和歌山インターチェンジ(IC)に近い、国特別史跡・岩橋(いわせ)千塚古墳群内の大日山35号墳(6世紀前半)から出土。
ころく(胡+たけかんむりに録)とは、馬に乗って矢を射るときに腰のあたりにさげていた「矢入れ具」で、矢羽根を上に向けて入れる特徴があります。
この埴輪は、逆台形をしたころく形の部分に円筒形の基部を取り付けた形状をしており、復元高約96cm(残存90.0cm)、復元横幅約39cm(残存37.8cm)の大きさがあります。
ころく形埴輪の発見は、古墳時代の武具の研究や朝鮮半島との交流、紀伊の地域性などを考える上で、非常に貴重な研究資料といえます。
大日山35号墳のほか、和歌山県北部を中心に分布している全国的にはめずらしい埴輪です。
大日山35号墳は6世紀前半の和歌山県で最大の古墳(墳長約86m、基壇を含めた総長約105m)であり、古代豪族「紀氏」の首長墓と考えられている前方後円墳です。
馬型埴輪
鳴神地区遺跡群(和歌山市)
和歌山市の西庄遺跡から発見された、古墳時代の製塩炉を移築したもの。
1.8mX2.3mの範囲に、砂岩系の川原石を規則的に敷いて作られたもので(石敷き製塩炉)、製塩時に熱を受けたために石の表面が赤く変色したものがあります。
製塩土器は、粘土の紐を手のひらで巻き上げ、貝殻などで形を整えたて作られたうすでの土器で西庄遺跡からは非常に多くの製塩土器が出土しています。
和歌山県には、100遺跡以上の製塩と漁撈をなりわいとした集落が存在する。
農業を中心に生活する人々とは異なる文化を持ち、製塩のための土器や鹿角で作った釣り針などが出土する。
代表的な遺跡として、西庄遺跡(和歌山市)・磯間岩陰遺跡(田辺市)がある。
紀伊風土記の丘には市民の皆さんの作品が沢山展示されている。
これは女性の埴輪で非常にユニークなものです。
これは何でしょう、狐のように見えますが、少し恐ろしい感じがします。
資料館の入り口近くに置いてあったものですが、客を迎えているかのような形をしています。
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