石川県立航空プラザ

石川県立航空プラザは石川県小松市安宅新町にある航空専門の博物館である。
小松飛行場(小松空港)の北側に位置している。

小松基地のレーダー網が遠望できる。

1995年11月27日に開設された航空機および航空を主体にした博物館で、日本海側では唯一の航空博物館である。
開設者は石川県で施設の管理運営は財団法人小松市施設管理公社が行っている。

屋外および航空プラザ1階にはヘリコプター、航空自衛隊の戦闘機、パラグライダーなど飛行機実機が常設展示されており、展示機によっては着席することもできる。
また、YS-11のシミュレーター(全日空で実際に使用されていたもの)や航空管制シミュレーターも体験することが出来る。
なお、シミュレーター利用は有料。

シコルスキー S-61 (Sikorsky S-61) は、アメリカ合衆国の航空機メーカー、シコルスキー・エアクラフト社が開発した双発タービンエンジンの大型ヘリコプター。
S-61 はシコルスキー社内での呼び名で、各国軍では別の名称を使用している。
日本でも、1963年(昭和38)に海上自衛隊の対潜哨戒機HSS-2として導入された。

三菱重工業がライセンス生産した機体が1964年(昭和39)に初飛行、同年に納入された。海自ではHSS-2/S-61Aを「ちどり」と命名している。
当初は陸上基地から運用されており、HSS-2Aになってから着艦拘束装置を装備した艦載型も生産された。
防衛庁ではHSS-2の寿命を決めるために、機体構造の疲労試験を行ったが、この作業は新機種の開発期間を決めることにつながるため、それ以降の日本ヘリコプター産業および研究開発の作業量を決定するのに役立った。

また、海上自衛隊では輸送機としてS-61A も3機採用し、同じく三菱重工業でライセンス生産された。
HSS-2は55機が調達された後1987年(昭和62)に退役したが、日本独自の改良型が採用されている。

1991年(平成3)から同じくシコルスキーのSH-60J シーホーク(S-70/H-60)の導入が始まり、後に艦載機はSH-60Jに完全に置き換えられたため、HSS-2は沿岸哨戒に移されたが、2003年(平成15)に全機が退役した。

HSS-2の内部。

KM-2は、海上自衛隊が運用した、対潜哨戒機などのパイロットを養成するための初等訓練で使用する練習機。

日本の航空機メーカー・富士重工業によって製作された。
Kは「改造:Kaizoh」、MはベースとなったT-34「メンター:Mentor」の頭文字である。
自衛隊での愛称はこまどり。

航空自衛隊の戦闘機パイロットだったロック岩崎が「生涯飛行機乗り」でありたい、との思いから1995年に自衛隊を退官。
エアショーパイロットの修行のため渡米し、1996年8月に設立したのがエアロック・エアロバティックチームである。

その後1996年11月3日と4日に南紀白浜空港にて行われた「スカイレジャージャパン’96」でピッツS-2Bと共にデビューを果たした。
1997年から本格的に活動を開始し、2000年にはチーム2機目のピッツとなるS-2Cを導入。
2002年のシーズンからは念願のフォーメーションフライトを開始。

翌年2003年からは2番機パイロットノブ次田のチーム離脱からロックのソロショーになるものの、2004年にはインストラクター出身のパイロット、サニー横山が新2番機パイロットとしてデビューし復活。
また同年には通算100回目となるショーも達成した。
2005年も更なる飛躍が期待されていたが、同年4月21日、コウノトリ但馬空港での曲技飛行訓練中に墜落事故が発生しロックが他界。
S-2Cは大破し登録抹消となってしまう。

残されたピッツS-2B(JA11AR)はチーム発足時の塗装に塗り替えられ、石川県小松市の石川県立航空プラザにて2010年4月から展示されている。

航空自衛隊関連グッズが所狭しと並ぶ。

前羽で浮翼し、後羽で推進しながら飛ぶ玉虫にヒントを得て1893年に製作・完成した飛行機である。

足こぎペダルによる人力で4枚羽のプロペラと車輪を駆動し、固定翼の下に取り付けられた可変翼で舵をとる先進的な構造となっている。
諸般の事情により個人(二宮忠八)が研究開発に取り組んだが、実際に飛行することはなかった。

カラス型1号器
二宮忠八が、1891年に製作したゴム動力付き模型飛行機のレプリカ。
忠八は、カラスを真似れば飛行できると考え、実験を始めます。

そしてカラスのような尾翼をもったプロペラ式の模型飛行機「カラス型1号器」を製作し、35mの飛行に成功しています。

ピラタス PC-6はスイスのピラタスが開発した軽飛行機。
単発プロペラ機であり、生産機数は900機以上。
初飛行は1959年4月。愛称はポーター/ターボ・ポーター。

多目的軽飛行機であり、山岳地帯や雪上でも運用が容易なように、高いSTOL性能と丈夫な機体構造を有している。
胴体断面は角型であり、高翼配置の主翼となっている。
機首にプロペラを有するが、初期型はレシプロエンジン、後にターボプロップエンジンとなった。

アメリカ合衆国のフェアチャイルド社でもライセンス生産され、21世紀に入ってからも生産が継続されている。
山岳地帯や極地での運用評価は高く、日本の南極地域観測隊でも用いられたほか、ネパールでは標高5,750mにある氷河上への固定翼機の高所離着陸記録を持っている。

岡山の表具師浮田幸吉の「竹製グライダー」
天明五年(1785)、幸吉は自作した鳩型の滑空機で、夜空の彼方から舞い降り、騒動を引き起こしたため、役人に捕らわれて岡山から追放されたという。

アリソンJ33A-35 ジェットエンジン
このエンジンは、展示されているT-33Aに搭載されているものです。

吸入した空気を遠心力で圧縮するタイプで、他のエンジンとは構造が異なる珍しいものです。
メリットとしては、故障が少ないこと。
デメリットとしては、エンジンの直径が大きくなることや出力に限界があることが挙げられます。
そのため、お蔵入りとなり、今後使われることのない貴重なモデルとなりました。

三菱 T-2
胴体の一部がカットされ、内部の構造が観察できるようになっています。
狭い所に効率的にユニットを収納するための工夫が至る所に凝らされています。
これぞ技術者魂。
創意工夫は技術者の特権ですが、技術者の矜持の琴線に触れられた気がしました。

F-104 は、ロッキード社が開発した超音速ジェット戦闘機。愛称はスターファイター (Starfighter)。
航空自衛隊は、G型を基に日本での要撃任務用途にあわせて火器管制装置などを改良したF-104J、および複座の練習機F-104DJを採用した。

日本にとっては、独自で機体選考を実施した最初のジェット戦闘機ともなった。
航空自衛隊では栄光という愛称を持つ。

三菱重工業がライセンス生産を担当し、細い胴体に極端に小さな主翼という形状から、空自の現場では「三菱鉛筆」の愛称もある。
F-15Jの配備に伴い、1986年に全機が退役した。

ビーチクラフト ボナンザ (Beechcraft Bonanza) はビーチ・エアクラフト社(現ホーカー・ビーチクラフト社)が開発した単発レシプロ軽飛行機シリーズ。
堅牢な訓練機、高級な自家用機として高く評価されている。

1947年から生産開始されたが、時代に合わせて改良され続け、現在も生産が続く長寿な機体。
現在のビーチクラフト社の発展の基礎を築いた、商業的にも技術的にも重要なモデルである。

ヒューズ TH-55 オセージ(Hughes TH-55 Osage)は、アメリカ陸軍向けにヒューズ航空機で製造されたレシプロエンジンを搭載した小型・練習ヘリコプターである。

本機は小型多用途ヘリコプターのモデル 269系としても製造され、この中の幾つかはモデル 300として販売された。
モデル 300Cは1983年以降シュワイザー・エアクラフト社で生産及び更なる開発が行われた。

T-33は、アメリカ空軍初の実用ジェット戦闘機P-80から発展した、初の複座ジェット練習機。
米空軍における愛称は、原型のロッキードP-80同様シューティングスター(Shooting Star:流星の意)。
米海軍でもTO-2(1950年以降TV-2と改称)の名称で使用された。

生産開始から半世紀以上経過した1990年代以降も現役で、日本の航空自衛隊でも1954年から2000年まで運用されていた。
なお日本では米での愛称「シューティングスター」、日本での公式愛称「若鷹」よりもその型番に由来する「サンサン」の名で広く呼ばれた。

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石川県立航空プラザへのアクセス、行き方歩き方

北陸鉄道・小松バス小松空港各バス乗り場より徒歩5分
北陸自動車道小松インターチェンジより約10分

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