敬正寺


「敬正寺(きょうしょうじ)」(瓜破東5-5)は、浄土真宗大谷派のお寺。

「天神社」ゆかりの「道昭(どうしょう)」が、大化年間に開基した「永楽寺」遺跡とされている。

永楽寺の本尊五智如来(五輪仏)のうち2体の石像が安置されている。

右側の大きい方が大日如来で、左側が阿弥陀如来である。

豊かな頬をして落ち着いた像容から、制作年代は平安後期までさかのぼるものと推定されている。

大日如来には生駒山の花崗岩、阿弥陀如来は二上山の安山岩が用いられており、府の有形文化財に指定されている。

これら石仏は江戸末期か明治初期 に、近くの下の池の水を抜いた際に樋門の下から現れた五体の うちの二体で、残る三体はどうしても引き上げられず、今では埋 め立てられた下の池の土中にあると言われています。

大化年間(645~650)に道昭が創建した永楽寺は成本から瓜 破霊園までを含む寺域を持ち、その永楽寺の塔頭のうち、唯一 残ったものが敬正寺であると伝えられています。

当寺にも「瓜破」の地名伝承があって、旅に疲れて帰って来た「道昭」に、採りたての瓜を割って差し上げたところ、体調が回復して元気になったことから、「道昭」がこの地にお寺を建立したとされています。

左手、阿弥陀坐像は上部を欠損、高さ約80cm、幅約70cm、膝上で弥陀定印を組む。

悟りを拓いた様な穏やかな顔様、柔らかな曲線で重量感の有る体躯。

磨耗が進んでいるものの表情豊かな鎌倉前期の石仏です。

片や右手に置かれた大日如来石仏。

総高約120cm、像高約1m、閣閃石黒雲母片麻岩という難しい名の自然石表面に、中肉彫りで刻み出されている。

頭上に宝冠、結跏趺坐し、膝上で法界定印を結ぶ胎蔵界大日如来ですが、石材の黒雲母が邪魔をするのか顔容は詳らかではない。

その像容から平安末期の像立と云われ、阿弥陀石仏と共に府の文化財に指定されている。

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