永禄4年(1561年)に没した玉蓮社勝誉恵光法園の創建と伝えられる。
浄土宗鎮西派の寺院。山号は恵光山、院号は謝徳院、本尊は阿弥陀如来。
肥後国人一揆の責任で豊臣秀吉に幽閉された佐々成政が、天正16年(1588年)閏5月14日(7月7日)に当寺で切腹させられ、本堂内には墓石の五輪塔(高さ88.7cm)がある。
成政は豊臣秀吉のもとで肥後国主在任中、領地内で反乱がおこり、その責により天正16年(1588)尼崎で切腹させられた。
山門を入って左側の墓碑は複製で、実物は本堂内に保管されています。
恨みの秀吉のいる大阪城の方向に自らの臓腑を投げつけたと伝えられています。
寺宝として、後陽成天皇(1571~1617)直筆の和歌一首「なき人のかたみの雲やしぐるらん 夕の雨に途はみえねと」の掛軸や成政肖像画などがあります。
特に山門の内に桐、外には菊の紋があり、由緒ある寺院を偲ばせています。(尼崎市教育委員会)
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